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掃除




職場の雑巾がけ(画像は関係ありません、イメージ)

スタッフルームは掃除業者が入らないところ。
掃除を自分たちでしなければいけない。

簡単にほうきなどで掃除していてもきれいにはならない。
何せ、女子が多い職場。髪の毛は掃除機でないと・・・

それと水回り(水回りは特に、全体も)は雑巾がけしないときれいにならないし、
蓄積したらどうなる?って話である。

前の職場で、同様の時にせっせ、せっせと率先して床ぶきをする
スタッフがいた。すんごい、尊敬してみていた。

今、私せっせ、せっせと拭いてます。

残念な事は、他のスタッフに広がらないこと・・・

寂しいもんですわ・・・







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誰か言ってと思っていたら...




ようやくこの様な発言が聞かれた。

橋下徹氏のツィッター記事。
センバツ高校野球への高野連の対応に対するコメントに付け加えての発言。

「政府が何の基準も示さないから民間は大混乱している。ピークを抑えればいいのだから、政府は4月には通常の社会に戻るようなプロセスを


自粛要請に従い、様々な自粛をしているが、いつまでするの?と少し感じている。

SARSの時は終息に約8カ月要していて、今回はそれ以上の期間を要すると言われている。
オリンピックはおろか、いつまでこの自粛は続けるのか。半年?1年?

日本の経済はどうなる?

すでに身近なところでは、北陸新幹線の乗客の減少、国内航空便(国際便はもちろん)
減便などが発表されている。

先が見えない、見通しがないのは困りごと。

その中でのこの発言。

そもそも、完全完全防止ではなく、ピークシフトを目的に自粛要請を掛けたはず。
であるなら、次の手。
4月以降はどうする?という議論、方向性を示してほしい。





作業との出会い_Meaninguful Occupation
先日、アンビリーバーボーで奥野敦士(ロッカーでロッカー中断中に怪我)さんの
お話しを特集していました。

私は以前、YouTubeでミスチル・桜井さんの動画を見ていたときに
たまたま出くわして、奥野さんの事を知り、ご本人のブログなどを拝見し、
感銘を受けていました。

夕食中にばったり出くわし、アンビリーバーボーを見入ってしまいました。

奥野さんが、「手を動くようにしてくれ」、「歩けるようにしてくれ」と求め続けて
いたら、どうだったのかな。それは今も思い続けていることとは思います。
でもその一方で、生きよう、生活しようという思いもあったから
この様な展開になったのだと思います。

彼は偶然カラオケに出会い、そこで「歌を歌う」という作業に出会い、
もう一度・・・となられたようです。

偶然、「意味のある作業」に出会えたことはとても良かったと思います。

私たち作業療法士は、この作業の提供、出会いを偶然ではなく、
クライエントに提供することが仕事だと思っています。
そして、番組中では看護師さんが腹圧を掛ける工夫をしていますが、
そのクライエントが作業を行える様、アセスメントして、利用できる機能、
回復可能な能力の見極めを行う事が仕事だと思っています。

生活行為向上マネジメント研修会に参加したこの日、
そんな事を想ったりしました。
鯉のぼり・伝達講習
この日は快晴
火曜日は勉強会なので、この日も自転車通勤

途中、川に鯉のぼりが。
先週まで桜・・・桜だったが、すでに5月の準備である。

この日は、勉強会の後に伝達講習会。
週末金沢であったボバース法の伝達。

定員があったり、休日リハや家庭の都合等々なかなか皆が
参加できることはないので、参加者が伝達していこうと、
いうものだが、昔は当たり前にやっていたこと。

こんな事を声かけして「さぁ、やりますよ」的にしなくては
いけないのが最近の傾向?(ちょっと寂しい・・・)

手技的なものは作業療法ではどうかなと思うが、
急性期の患者さんが多いので、基礎知識としては頭においておいても
いいかなという感じ。

昔より、「活動」がテーマなんですという感じで説明されていたらしい。
身体機能ですと言わなくなったことは前進であるが、
機械的に日常動作を取り入れて「活動です」というのは、
すでに「Meaningful occupation 」で無くなっているんですよね~

ここを作業療法士は意識的に使わないと、「作業の誤用」で終わって
しまうと考えています。



一年の計
『一年の計は元旦にあり』・・・
子どもの頃、よく、親に言われ、それを信じ元旦にはわずかでも勉強していた気がする
今の時代、死語かな

そんな中、新聞コラムに良い記事を発見


めんたんぴんというロックグループがあるのだが、そこの佐々木忠平さんという方のコラム。
小松出身で、現在小松で氏曰く「田舎暮らし」をされている。


曲を聴いたことはないのだが
、このコラムでなかなか、ロックな話をしてくれている


そんなコラムで、今年考えたいテーマの一つとして「集団的な幸福感」があるそうだ。
「幸福とは個人的なものだが、日本人はそうは考えていない。」とし、「密かに米国が密かに願っている」,「個人主義故に『集団的幸福』を追い求めている」、
そして、この『集団的幸福』を「当たり前に思っているのが北陸人」,「その生きた姿を米国人に見せたのが松井秀喜」とある。


そんなコラムの横に、同じく画家?教育者?の丹羽俊夫さんのコラムが並んでいる。
そこには、『「嘘をついてはいけない」、「卑怯なことをしてはいけない」ことを日本ではひっくるめて「みっともないことをしてはいけない」という教えがあったが、今、この考えが失われている気がする』、『「お天道様が見ている」という考えを忘れてはいけない』とある


ここ数年、「自分さえ良ければいい」、「自分の好きな事をする為なら周りの人の事はどうでもいい」、と見受けられる人を見かけるようになった


自分自身は、「集団的幸福感」=みんなで幸福を、お天道様に恥ずかしくない事をしようという、こういうポリシーで挑みたいと思う







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